厄年というものに意味も根拠もない。惑わされず、清く正しくいきましょう!

MAKOさんの随想
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どうも、森のお坊さんでお馴染みのMAKOです。(@Jewelry__angel )

朝晩ちょっと寒いけど日中暑かったりと良く分からない気候が続きますがいかがお過ごしでしょうか?

そりゃ3年もあれば何か起こるに決まってるさ

さて、本題。

ちょっと前にテレビを見ていたらSMAPの中居君が厄除けなるものをされていました。

実は個人的にはこの厄ってのは非常に違和感を感じているんです。

まあ、浄土真宗の教章の中に『親鸞聖人の教えにみちびかれて、阿弥陀如来の み心を聞き、念仏を称えつつ、つねにわが身をふりかえり、慚愧と歓喜のうちに、現世祈祷などにたよることなく、御恩報謝の生活を送る』というのがあるので当然それベースなのですが、よく考えてみてください。

前厄、本厄、後厄って3年もあったら絶対何かあるでしょ?

3年もあったら自分はおろか身内にだって病気をする人もいるでしょう。

まして身内が多ければ多いほどその確率は上がるんだし。

3年どころか厄年でもないのに1週間で同じ家の葬式を2度経験したこともありますよ。

そもそもそれがお釈迦様の仰った諸行無常ということでしょう。

1日たりとも同じ状態でいるものは仏法以外無いという真実そのもの。

3年も同じ状態なんてあり得ないんですから。

厄年とは何かね?

さらにウィキペディア先生の解説によると↓
厄年は、日本などで厄災が多く降りかかるとされる年齢のことである。平安時代にはすでに存在し、科学的な根拠が不確かで起源も曖昧だが、根強く信じられている風習である。

と書いてあります。

ね、こんなもんなんですよ。

だから面白半分に宗教的なことをバラエティーでやられるのは嫌なんですよね。

他の宗派の人たちがどう捉えているのかは解りませんが、浄土真宗の門信徒さん方はきちんと物事の真実を見極めて、このようなことに惑わされないで日々を送りましょう。

何の根拠も真実でもないことに振り回され、惑わされ、心身をあくせくさせるのはとても無駄な事なのですから。

惑わず、振り回されず、清く正しく行きましょう!

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