どうも、森のお坊さんでお馴染みのMAKOです。(@Jewelry__angel )
飲食店の知り合いと話してると人口がたかだか2万強のここ島根県江津市でも飲食店でコロナウイルスの影響が出ているようです。
しかし小さな町で知り合いだらけなので、他の人に聞いてみると、教育関係や行政関係者は送別会をキャンセルしました、建設業や工事会社の人たちは毎週飲み会でしんどい、と言っています。
。。。。
なんだそりゃ(笑)
どっちにしろ、みんな何とか今は耐えないとけないですね。。。
100日後に死ぬワニのふんどしを使って相撲を取るの巻き
御多分に漏れず私も100日後に死ぬワニを見ていました。
※知らない人に説明するとTwitterの中で描かれた4コマ漫画で100日後に死んでしまうワニの物語を1日ごとに更新していく物語。
99日目までは何ら変わらない日常だったんで100日目に本当に小細工無しで死ぬなら、まあ自死や殺ワニは無いだろうから事故か心不全の2択だろうなと思ってたらやっぱり事故だった。
で、個人的には死に方とか結末はどうでもよくて、これは仏教でいう所の諸行無常の話であり僧侶にとってはなんら特別なことは無いもので、どっちかっていうと読み終えて、イラストレイターに全部持ってかれたけど本来は僧侶がもっと伝えて行かなくちゃいけない事だなと思った。
で、これを読んだ人に僧侶の視点で呟くと、
みなさん、Twitterでこの連載が始まり、ワニの死を当たり前のように見られると思っていませんでしたか?
実は100日間見続けてワニの死を見られるのは様々な縁によって生かされたからであって、見られなかった縁も当然あったかもしれないのです。
でも、そんなことを考えた人は居たでしょうか?
恐らく大多数は明日の更新が楽しみだなと思って眠りについたでしょう。
でも、それは何の保証も根拠もない明日の命です。
多分みんな、命があるものはそれをいつか終える、そしてそれが突然かもしれないし、緩やかかもしれない、それは分かってるでしょう。
でも大半の人は実は分ってるじゃなくて「知識」として知ってるのです。
それ故に幾ら理屈で分かっていても知識である以上死んでいくのはテレビや新聞で見るどこかの誰かのことなのです。
そして100日後に死ぬワニを見ても、数分後に自分の命も終わるかもしれないと思ってる人は恐らくいないと思います。
残念ながら私もこのブログを書いて後に心不全とかで死んでしまうと心の底からは思うことは出来ないのです。
諸行無常、即ちそれが真実だとしてもその真実を遮ってしまうものがあるからです。
それが煩悩。
この煩悩は恐ろしいもので自分でそれを完全に取り除いてコントロールするのは悟りを開く以外不可能です。
だからこそ、仏法を聴き続け、ワニの話を見て、その瞬間瞬間に真実を思って、省みる機会を作っていくことが大事なんだと思います。
呪いや祈祷で事故や病気を避けられるんなんてことは絶対に無いです。
避けられないものは避けられないと知り、その上で日々を安心して生きる拠り所を自分の中で持つことが大切です。
それが仏の教えであり、阿弥陀如来の願いなのです。
って、ことを100日後に死ぬワニのふんどしを使わせた貰って勝手に話してみました。
まあ、あと電通案件とかはどうでもいいと思う。
全て電通の掌の上で踊らされたという怒りも分かるけど、そこはやっぱり見る必要なくて、このワニのストーリーを通して自分自身の生死を省みることだけを大事にすべきだと思う。
そして、幾ら銭が動いててもワニくんといキャラが好きだった人たちにはグッズとか買えて嬉しいだろうし。
でも最初に言った通りホントはこう言うのは僧侶側がバズらせなきゃいけなかったよなって思いました💦
それでは今回のフリートークはここまで。
またね(^_-)-☆
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