どうも、森のお坊さんでお馴染みのMAKOです。(@Jewelry__angel )
この問題も賛否ありましたがやっぱりダメだったようです。
Amazonのお坊さん便が中止に。
ちょっと前に超話題になったAmazonのお坊さん便。
要するにAmazonで購入して会社がお坊さんを手配するというもの。
仏教界から大反対を喰らっていて、色々揉めたようでしたが、いよいよもって中止となりました。
以下、中止に至った経緯👇
やり方によっては個人的には有りだと思う
とは言っても、Amazonでの出店を中止するだけであって、後は「よりそう」という自社のHPでやっていくみたいです。
なのでAmazonから無くなるだけで何の解決にもなって無いんだけどね💦
そしてそもそも全日本仏教界って何だよ(笑)
僧侶なのにそんな組織知らない。
各宗派の代表が吼えてたのを見たけど、布施の意味とか全てをひっくるめて、もちろん私もそうだが自分たちの布教のあまさがこういう事態を招いたというのを棚に上げてよく言ってるなと思った。
私も元々在家だから思うのだが、自分のお寺がなかったらどうしたらいいか分からないし、島根なんかはほぼほぼ所属寺や地域にお寺があるからAmazonの必要はないんだけど、登録できるならしたいよね。
ただやっぱり問題は多々あるからしゃーない。
個人的に一番の問題は偽物だよね。
僧籍がある無いなんて多分簡単に偽装できる(苦笑)
やっぱりそういう輩に人の最後を任せちゃいけない。
これは一般企業がやってるからダメなんであって、各宗派の本山がやればいいんじゃないのとは個人的に思います。
電気作るよりよっぱど布教のチャンスでいいと思うんだけど。
金銭で揉めると馬鹿な発想が出てくる。
あと、個人的な感想として仏教界が反発してるのってお金だよね。
だってどんな形であっても仏法が届くことが僧侶の本望なのにここまで目くじら立てるってことは、お布施の相場が下がるのが嫌なだけだと察してしまいます。
布教できるチャンスがあるんだったらそれを最大限に活かすことに力を注ぐべきだろって思うんですよ。
まあ、でも私に言わせればそれでもお坊さん便高いと思うけどね(笑)
で、お金で揉めるとまたバカみたいな発想が出てきます。
以下、お坊さん派遣「よりそう」の新サービス👇
布施の精神や、僧侶の品質向上を両立させる新しい施策として、「おきもち後払い」という新サービスも新設する。これは、「お坊さん便」を利用した後、満足度が高い法要だった場合には、施主が「お気持ち」として料金に布施を上乗せできる仕組みだという。つまり、感動的な儀式を執り行った僧侶の「袋の中身」は、より多くなる可能性がある。
・・・・・・
何を言ってるんだろうか。
何だよお気持ち後払いって(笑)
馬鹿だな~って思う。
葬儀はパフォーマンスじゃねーんだから、感動を狙ってやるもんじゃない。
葬儀は仏の代わりに私が仏法を話させてもらう場であるんだから、謙虚に大切に厳かに行う儀の場。
その結果、更に上乗せなんて、それを狙ってやる、即ち煩悩丸出しの僧侶が出て来るだけじゃん。
誰がそんな煩悩僧侶におくってもらいたいんだよ。
最近、通夜をしなくなったり、私服で葬儀来たり、葬式終って49日してくれって言われたり、ホント多いです。
それも都会の葬儀社がそういうプランを作ってるから。
要するに故人ファーストじゃなくて自分ファーストの葬儀を作れる場を葬儀社が提供してるんだよなぁ。
こっちは全くそんなことないけど、都会の葬儀社のHP見るとそんなプランが当たり前のように書いてあるから、都会から戻った人たちが道理に合わないこと言い出してる。
とりあえず、みんなやってるからやっとけばいいって、親がこの場所で今までしてきたことを無視して如何に楽に終わらせるかを優先する、もしかして金銭的に厳しい事情もあるかもしれないので相談してくれればいいんだけどそれもないし、ただ悲しいよね。。。
これからは家の宗教じゃなくて個の宗教。一緒に手を合わせたい人を見つけよう。
私はこれからは家の宗教じゃなくて個の宗教になると思っています。
なんせ、Amazonにお坊さんを出店するなんて今まで考える事すらなかったことが出て来てるんだから。
そして家はこの宗教でこのお寺だったけど、これだけ価値観が多様になった世において、もはやそれは通用しなくなるんじゃないかと思います。
いや、むしろそうなるべき。
何故なら自分の家の宗教が何なのか知らない、どんな教えなのかも知らない、でも家はこの宗派だから葬儀をやって法事をやって終ったらバイバイじゃ意味が無いですからね。
だとしらた自分が幸せになるためにはどの教えを頂くのが一番合うのかってのを自分自身で判断する必要があるからです。
なので当然仏事のやり方も変わって来るでしょうがそれは仕方が無いし、1人1人が仏法を聴くなら歓迎すべきこと。
故に近い遠いとかじゃなく、自分はこのお寺を支えたい、自分はこの宗祖の教えを実践していきたい、自分はこの人と一緒に仏法を聴きたい、自分はこの人に最後送ってもらいたい、そういう風になっていくべきだと思うし、そういうお坊さんを見つけて欲しい、即ちお坊さんと話したりコミュニケーションとって欲しいよね。
だから私ももっともっと、真摯に取り組んで、皆さんにそういって貰えるような僧侶になりたいと思います。
因みに、お寺変えちゃいけないなんて法律は全く無いので、色々と思う所がある人は変えちゃっても何の問題もありませんよ。
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